バラエティ番組で活躍する有吉弘行さんをご存じでしょうか?
今でこそ、たくさんの冠番組でMCを務めている彼ですが、そこに至るまでは、山あり谷ありの苦労と、それを乗り越える本人の努力があったことは想像に難くないと思います。
この記事では、彼がどのような考えを持って、努力を重ねて、いまの芸能界のポジションを手に入れるまでに至ったのかを考察していき、そこにある普遍的な『仕事に取り組むマインドセット』を学びたいと思います。
有吉弘行のどん底の極貧生活と再浮上のきっかけ
有吉弘行さんといえば、「進む電波少年」という番組で成し遂げたヒッチハイクでのユーラシア大陸横断が有名です。当時は、相方の森脇さんと一緒に、「猿岩石」というコンビ名で活躍していました。
私もその当時、毎週、電波少年を観るのを楽しみにするファンの一人でした。ヒッチハイクでのユーラシア横断は本当に過酷な旅だったと思いますし、今の国際情勢から考えると危険すぎるロケだったことでしょう。
そんな体を張ったリアルな映像は視聴者の心を捉えて離さなく、有吉さんは帰国後も「猿岩石」としてブレイクを果たします。その範囲は芸人を留まらず、「白い雲のように」という楽曲をリリースし、これがミリオンヒットを記録。猿岩石は、アーティストとしても活躍しました。
その当時の状況について、有吉さんは自身の書籍『お前なんか死んでいる』で以下のように語っています。
「猿岩石」で人気がピークだった頃、まったく休みなしでした。休みなしで毎日何本も仕事をこなして、移動は事務所から用意されたワゴン車で僕ら専用の「猿岩石カー」。寝るのもほとんど「猿岩石カー」の中でずっと年末の忙しさみたいなものが続いている感じでした。
(中略)
あの頃、僕らは給料制だったんです。固定給が確か月100万円くらい貰ってました。それにCDとか、CMとか、本の印税とか重なった時が一番多くもらって、僕の記憶だとたぶん、一番多かった月で、2,000万円ぐらい。しかも2人分一緒に貰うんで、物凄い厚さがありました。
現金で4,000万円って見ることないんですよね。その場で4,000万円分のぶ厚い札束を2人で分けてもらってたんですけど、笑っちゃいますもんね。「なんだ、これは!?」っていう。
しかし、そういった一過性のブレイクは終焉を迎えることとなります。そして「猿岩石」は解散し、相方の森脇さんは一般社会に戻って行くことになります。
一方、有吉さんは細々と芸人を続けることになるのですが、全く仕事がない極貧生活を数年間も味わうことになります。
仕事が全然なかったどん底時代、唯一僕がやらなくちゃならないといけない仕事ってうのが午後4時の電話でした。毎日4時になると、事務所に電話して次の日の仕事確認しなくちゃならないんです。
「有吉です。明日の仕事なんですけど…」
「明日ないで~す。」
明るく言われてガチャッって切られます。(中略)午後4時の恐怖の電話は7~8年続きました。地獄の日でした。
まったく仕事がない時代、金もないし、ずっと家にいて何をしていたかっていうと、テレビ観てました。テレビばっかり観てました。何しろ4時に電話したら、1日の仕事終わりなんで。
(中略)
1日一食です。1日250円。全部スーパーの見切り品。あの頃、スーパーの見切り品がごちそうでした。どんなに腹が減っても待つんです。スーパーの閉店時間までひたすら待つ。すっげー腹減ってるのに延々と待つっていう毎日。
こんなどん底状態の有吉さんを救ったのが、「内村プロデュース」(略して、内P)という番組です。
この「内P」というこの番組は、ウッチャンナンチャンの内村さんが、若手芸人に体を張ったロケや大喜利をさせるのですが、その現場の瞬間瞬間に見せるお笑い芸人のアドリブや人間的な素の部分がとても新鮮かつ面白くて、熱狂的なファンを獲得していくことになります。(もちろん、私もその「内P」の大ファン。)
そして、この「内P」で、有吉さんの人間性や面白さ、というものが引き出されて、徐々にテレビへの露出も増えて行くことになります。
今、僕が芸人を続けられているのは、「内P」のおかげです。まったく仕事がない時期に、「内P」だけが僕のこと呼んでくれたんで、なんとか芸人を続けていられたんです。タイミングも良かったですよね。「手裏剣トリオ」(猿岩石が一時期、改名した名前)で「内P」に出ていた頃って、世間の人たちも「猿岩石」っていうのが頭から消えつつあったんですよ。猿岩石時代を知らない人たちも出てきたりして。だから何やってもいいみたいな感じだった。(中略)だから僕の中では、「内Pでデビュー」みいな気持ちだったんですよ。
今でこそ様々な冠番組を持って、引っ張りだこの有吉さんですが、有吉さんの芸人としての強みや差別化ポイント、そして様々な仕事の心構えを教えたのは、他でもない、ウッチャンナンチャンの内村さんです。
それを物語るエピソードがあるので、次の頁で紹介します。
有吉弘行が内村光良に学んだ「仕事の取り組み姿勢・行動様式」
有吉さんは、そのキャラクターや毒舌芸人という肩書きから「適当そうな人」と思われがちかもしれません。
しかし、言葉の節々をよく聞いていると、相手の話をしっかりと聞いた上で切り返しをしていますし、また相手への配慮も忘れていないことが読み取れます。ビジネスマンとして働いても、超一流になっていたことでしょう。
そのような今のポジションを築くまでには、彼なりのターニングポイントがあったと思うのですが、それがわかるやり取りが残っています。
ちょうど、以下のサイトさまで、詳細に当時の番組の会話を書き起こされていたので引用されていただきます。(元・お笑い芸人のちょっとヒヒ話)
2008年7月15日配信「内村さまぁ~ず」(第42回)
レギュラーは内村光良、さまぁ~ず(大竹一樹・三村マサカズ)。ゲストMCは有吉弘行。オープニングで、今回の企画「有吉弘行 MCへの道トークパラダイス」について説明。
三村「ところで今日は、何がやりたいの?」
有吉「はい、僕はあの~、最近そこそこ仕事が増えてきたんですよ」
大竹「へぇ~、ちょっとキテるよな」
三村「見てるよ」
有吉「ちょっとそろそろ、本格的に売れたいなと思いまして」
内村「うん」
三村「本格的に売れるって何なの?」
有吉「やっぱりMC(番組の司会)を……することじゃないかなと」
内村「あっ、それでこの格好(スーツ姿)なんだ」
有吉「そうなんです、これもう、MCの格好で」
まず、ここまでの状況で面白いのが、内村光良、さまぁ~ず(大竹一樹・三村マサカズ)、有吉弘行というメンバー構成です。これは、まさに「内村プロデュース」のコアだった面々なのです。
そんな気心が知れたメンバーに対して、有吉弘行さんは本気で、売れるための種まきをしています。将来、自分をMCとして使ってくれる番組のことを想像しながら。
この番組でMCの練習がしたいと言うので、「恋のから騒ぎ」形式でやってみることに。で、最後に出たお題が「僕(有吉)が今やるべき事は?」。
有吉「(明石家さんま風に)はい、内村」
内村「あの、有吉さんは今、キテると思いますから、1個1個大事にしていくんです、仕留めていきましょう」
有吉「1個1個」
内村「1個1個の仕事を仕留めていく」
有吉「(これまでの自分のMCっぷりを振り返り)今日のようなことがないように、ふふっ」
(内村笑)
内村「仕留めていくことです、確実に」
有吉「(真剣な顔で)分かりました……」
三村「2度目のブレイクは本物って言いますからね」
内村「あっ、今メモするところじゃないですか?」
有吉「これね、あの~、この前聞いたんです」
内村「あっはっはっはっ」
有吉さんは、ここで聞いた「1個1個大事にしていく。仕留めていく。」という言葉を肝に命じて、その後の仕事で実行していくことになります。
その結果が今の彼の成功を引き寄せたといっても過言ではないと思います。
そして、有吉さんには、酔っ払うと必ず後輩にいうアドバイスがあるそうです。
『1つ1つの仕事を丁寧に全力でこなせ』
有吉さんは、数年前に内村さんに言われたこの言葉を大事をし、それを1つ1つの仕事で実行してきたことが分かるエピソードです。
そして、この言葉は私たちビジネスマンにとって、まさに成功するためのキーワードではないかと私は思います。
この内村さんと有吉さんのやり取りを読んだ時、私も仕事ができないと評価されていた時は、どこかに “慢心” や “甘え” があったことを思い出しました。
言われた通りに仕事をすれば良いとか、まだ誰からも指示がないから動く必要はないとか、とにかく受け身の姿勢で仕事をしていました。
そういった受け身の姿勢ではなくて、当事者意識を持って、どんな些細な仕事でも、どうしたら良い仕事にできるか? そのためには、自分はどんな貢献ができるのか? を考え、自ら主体的に行動することが大事なのだと思います。
『1つ1つの仕事を丁寧にこなす』とは、そういった当事者意識を持って主体的に取り組むことなのではないかと、私は受け取りました。
有吉弘之が南原清隆に学んだ「成果を出すための仕事の準備の仕方」

有吉さんが考える『1つ1つ丁寧な仕事をする』ということについて、もう少し紐解けるような具体的なエピソードがあります。
それは、有吉さんとウッチャンナンチャンの南原清隆さんのやり取りです。
ウンナンの南原さんは、真面目で面倒見が良いことで有名です。有吉さんがまだ売れる前から、南原さんは有吉さんに色々な「仕事に対する考え方」を指導されたようです。
その中で、「仕事に対する準備」の重要性について話されたエピソードがあります。そして、これは、まさに私がプロダクトマネジャーの時に上司から教えられたことと同じで、とても心に響きました。
TV番組の中で、有吉さんがお酒の席で後輩にした説教が紹介されます。
その内容は、『最近の若手はネタ1本作るのに、何日も何週間もかけて作るのに、バラエティ1本決まったときに、集まって練習とか、シミュレーションする若手がいない。バラエティをなめんじゃねぇって言ってる』という話でした。
これを受けて、陣内さんが有吉さんに率直な疑問をぶつけていきます。
陣内「ということは、有吉はバラエティ、けっこうシミュレーションしてたの?」
有吉「やっぱ、1つ1つにやっぱり、ちょっと僕は時間をかけて」
陣内「あ~、そう」
有吉「夜眠れないぐらいですもん」
陣内「へぇ~、ホンマに?」
有吉「徹夜で行くこと多かったですよ」
陣内「へぇ~! ひろいきスゴいね」
有吉「ひろいきスゴいんですよ」
(スタジオ笑)その後、この話は半分ウソであることが有吉さんから暴露されます。
陣内「嘘かいな! ええこと言うてるやん」
有吉「これはね、南原さんがずいぶん昔に言ったんです、こんなことを、『1つの番組に出るときには10個ぐらい何か用意していけ』つって」
陣内「うん、ええことやん」
有吉「で、『10個できなくてもいい、1つでもできたら今日はよかったと思って帰りなさい』って」
陣内「うんうん」
有吉「だから、それを真似した」
(スタジオ笑)
有吉さんは面白おかしく話していますが、おそらく、これが有吉さんの「本当の仕事への取り組み方」なのだと思います。
有吉さんは、南原さんに教わった通り、どんな番組に対しても、番組をより良くするための準備を入念にやっていて、全力で取り組んでいるのだと思います。
そして、これが『1つ1つの仕事を丁寧に全力でやること』に繋がるのだと思います。
昔、私も上司にこんなことを言われました。
『会議は、会議が始まるまでの準備で8割が終わっている』と。
会議を1つのバラエティ番組と捉えると、有吉さんのように、その会議に出るまでに、事前に10個ぐらい何かを準備していく”当事者意識”で取り組めば、素晴らしい成果を残せるのではないでしょうか。
そういった1つ1つの仕事への取り組みが、数年後の自分のポジションを作っていることに気付けるかどうか? そして、そこに向かって、1つ1つ丁寧に仕事をしていけるかどうか?
これがまさに、私たちが有吉さんから学べる”仕事への本質的な取り組み方”なのではないでしょうか。