【日本は学歴社会だと嘆く人へ】グローバル社会は日本の高学歴なんて役に立たない現実

グローバル社会は日本の高学歴なんて役に立たない現実

日本では学歴を気にしすぎる方がいます、なぜなのでしょうか?

その理由は、よい会社に就職するためだったり、ステータスが欲しかったり、自分が頑張った証としてだったりと、人によって様々です。

たしかに、高学歴は日本での就職活動に有利というメリットはあるかもしれません。

ですが、私は学歴は単なる過去の実績に過ぎなく、ましてや、日本での学歴は、現在のグローバル社会ではさほど意味を持たないものだと感じています。

この記事では、グローバル企業で働く筆者が感じている、井の中の蛙的な日本の学歴について考察したいと思います。

東大・京大出身? だから何? がグローバル基準という現実

先日、アメリカ人エグゼクティブ(50歳以上の女性)が来日した際、一緒に寿司を食べに行った時の話です。

彼女はすでに孫もいるという話になって、アメリカや日本の学校教育の話になりました。

その会話の流れから、そのエグゼクティブの卒業大学を聞く機会があったのですが、なんと「ハーバード大学卒」で、加えて彼女の子供たちは、弁護士や医者という高学歴&エリート一家であることが判明しました。

彼女に限らずですが、私の部署のアメリカ人は、ハーバード大学卒、シカゴ大学卒など、世界ランク上位の大学卒がゴロゴロしています。

そこから比べると、東京大学や京都大学を卒業していても『だから、何?  どこなのそれ?』と言われてしまう、なんとも切ない状況になります。(注: ちなみに、筆者はどちらの大学卒でもありませんが)

グローバル視点で考えると、もはや、日本でどこの大学を出ていようがあまり関係がないのだと感じます。

先日、アメリカで駐在しているとても地頭がいい東大出身の会社の先輩が日本に帰国していたので会った時のことです。彼はこんなことを言っていました。

『いま、シカゴ大学卒の中国人(女性)と仕事をしているけど、彼女は中国の至宝だわ。めちゃくちゃ頭がいい。俺がチグハグな英語で説明した内容でも、ちゃんと理解していた。』

本当に頭がいい人は、断片情報を取り込んで、自分なりに再構築して理解するスピードが恐ろしく早いものです。まるで、パズルピースを高速で組み上げていくように。

そして、私からすれば、その東大卒の先輩は、『東大の至宝』のような存在で、頭の回転がむちゃくちゃ早い方なのですが、そんな彼が他の人をべた褒めすると考えると、世界は本当に広いな、と感じてしまいます。

グローバル社会と強烈な「学歴社会」by 竹中平蔵

皆さんは、竹中平蔵 氏をご存知でしょうか?

2001年、小泉内閣の経済財政政策担当大臣就任を皮切りに金融担当大臣、郵政民営化担当大臣、総務大臣などを歴任したことで有名ですが、その小泉内閣に入る前、彼はハーバード大学で客員准教授をしていた時期があります。

その時の話が興味深かったので引用したいと思います。

わたしがハーバード大学で客員准教授をやっていたとき、総長のヘンリー・ロソフスキーとよく話しをました。彼は知日家で、日本のことをよく知っているんです。こんなことを言われました。

「ヘイゾウ、日本人は東京大学を『偉い』と思っているんだろう。
でも、ハーバード大学から見れば、東京大学は、トーキョーにある大学以上の意味はないんだよ

この会話が何を意味しているかというと、もはやグローバル目線では「東大卒」だからといって、『へえ〜、天下の東大ですか? 凄いですね!』とは言われないということです。

私も恐縮ながら、ノーベル賞を定期的に輩出している大学卒なのですが、そのノーベル賞が世界中でニュースになったタイミングで、アメリカ人に話してみたことがあります。

その反応はというと、、、

ノーリアクションでした。

おそらく、日本の大学名など知らないし、あまり興味がないのだろうと思います。

それこそ、ハーバード大学クラスの知名度がないと、グローバル社会では、『へえー、凄い!』とはならないのです。

考えてみれば、我々日本人が、フランスでトップの大学名を言えるでしょうか?  ドイツでトップの大学名を知っているでしょうか?

それと同じで、日本でたとえ東大や京大を卒業したとしても、グローバル社会では大して認知されません。

竹中 氏は、以下のように話を続けています。

国境を超えて働く――グローバル社会とは、強烈な「学歴社会」。このことを知っておいてほしいんです。(中略)

グローバル社会では、あらゆる国から人が集まってきます。文化や宗教、あらゆる点で多様ですから、どこかで物差しを導入しないとなりません。それこそが学歴で、世界中から集まってくるからその基準もより厳しくなります。

竹中 氏の話には、実はまだ続きがあり、日本は単なる「入試歴社会」なだけで、そんなものは低学歴社会だ、というような少し極端な展開になっていくのですが、これは竹中 氏なりの危機感をより強く打ち出したものなのだろうと思います。

いずれにせよ、私は竹中 氏が述べている、『日本の学歴だけで物事を見るのは世界が狭い』という視点には共感しています。

私たちは、過去の大学入試の結果にいつまでもとらわれている場合じゃないのです。

本当に大事なのは、高学歴ではなく、学習し続ける能力

私は、学歴とはいわゆる、

「高い学習能力」と「努力ができる自制心」を持っている証明書のようなものだと考えています。

特に統計学的な根拠はありませんが、私の周りの高学歴の人たち(東大・京大・旧帝大卒)と接してきた体感です。

ただし、1つ気をつけないといけない点があります。

それは、学歴とは、あくまで大学時代までの証明書であり、社会に出てからは、その証明書が無効になっている可能性がある点です。

もっと端的に言えば、社会人になってからは、腑抜けてしまった人が、一定数の割合でいるということです。

その理由は様々ですが、いずれも今の状態に満足してしまった、ということに行き着く気がします。

そういう人は、学習をやめてしまうのです。

もちろん、日々の仕事はしっかりやるので、何も問題はありませんが、目に見えて、成長が鈍化してしまっている場合がよくあります。

人生で、本当に学習しないといけないのは、社会人になり、ある程度仕事を覚えた後からだと思うのですが、人間なかなかそうもいかないものです。

だからこそ、私が言いたいのは、

大学時代までの学歴をいつまでも振りかざして自己満足するのも意味がないし、

逆に、学歴コンプレックスで、いつまでも『自分なんか二流大学で』と自虐的になる必要もない、

ということです。

なぜなら、学歴はフルマラソンの10km地点のようなものに過ぎなく、『ここから何を学習していくのか?』こそが、もっとも重要だと思うからです。

そして、忘れてはいけないのは、そのフルマラソンのトップランナーは、全くスピードを落とさずに、走り続けているということです。

以前紹介した、グローバル企業の社長候補の方などはよい事例です。

従業員数万人の会社の社長候補から聞いたビジネス組織論

従業員数万人の会社の社長候補から聞いた組織改革にまつわる話

誰もがそんなスーパーな人間になれるわけではありませんが、

少なくとも、我々ビジネスパーソンは、これからも日本やグローバルで戦っていくためには、常に新しいことをインプット&アウトプットするトレーニングを継続しないといけませんし、成長を止めてはいけないと思います。

繰り返しになりますが、学歴というのは、社会に出る前にまでの、インプット&アウトプットの実績です。単なる通過点です。

本当の勝負は、社会に出た後も、インプット&アウトプットを続けていられるかどうかだと思います。

だからこそ、私は、学歴なんかの過去の産物に囚われずに、もっともっと、学習を深めて、広げていきましょう、ということを伝えたいです。

過去の産物である「学歴」などに囚われず、明日からやるべきこと

なぜ、我々は義務教育を受けて、わざわざ何年も勉強しないといけないのでしょうか?

この問いに対する自分なりの答えを持っている教師がどれだけいるのかわかりませんが、

私なりの答えは、

『勉強する理由は、人に提供できる付加価値を高めていける可能性があるから』

です。

付加価値とは、その人が喜ぶことです。

例えば、スマートフォンが苦手な人に、便利な活用方法を分かりやすく教えてあげることも付加価値です。

もっと専門性があがれば、スマートフォンが壊れた人に、修理してあげることで、それがビジネスになります。

ビジネスの基本は、その人ができないことをやってあげたり、知らないことを教えてあげたり、欲しいモノをあげたりすることです。

そのためには、どうすればいいか?

とてもシルプルです。

人よりも一段深く学習するか、人よりも広く学習するか、人よりも多くのことをやってみるか、などなど、

自分の周りがやっていないことをやることです。

こう書くと、日本の画一的な詰め込み勉強なんて、人と同じことじゃないか!  という人もいるかもしれませんが、そんなことはありません。

同じことを勉強しても、人によってアウトプットは全然違いますから。

例えば、同じ地理の勉強をしても、全く響かない人もいれば、その地理の勉強が最高に面白くて、そこから貿易関係のビジネスアイデアを思いつく人がいるかもしれません。

他にも、数学や化学、物理の世界などは、まさに、産業に直結しているので分かりやすい例です。

社会に出てからは、リーダーシップについて極めて行ったら、リーダーシップの会社を作って人に教えていた、という人もいれば、

プロジェクトマネジメントと人に教えるのが好きすぎる人がいて、気づいたら、企業の中でのプロジェクトマネジメントのトレーナー職についていたという人もいます(私の会社のアメリカ人)。

いずれのケースも、人よりも何かを深く極めていくことで、自分と人との間になんらかのギャップが生まれていき、そのギャップこそがビジネスのネタになっていく、ということです。

他の人と自分とのギャップは、なんでもいいんだと思います。

願わくば、そのギャップは深くて、広ければ、よりいいですし、もっというと、誰もがそのギャップを埋めたいと思うものだと、最高だと思います。

そして、そのギャップを作るには、学習なのだと思います。

だからこそ、学歴が大事なのではなくて、そのプロセスである学習こそが大事なのではないでしょうか?

以上です。

よかったら、社会人になってからの学習の重要性に関する以下の関連記事も読んでみてください。

『将来のリーダー』=『ラーニングアジリティ(学習機敏性)が高い人材』 という実際の話

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なぜ勉強するのか? グローバル企業の現場で感じる学習の重要性

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ippo
本サイトの運営者。社会人になった後、周囲から仕事ができないと思われて、自分の人生が真っ暗闇に感じた辛い日々を過ごす。その後、奇跡的な復活劇を遂げ、その勢いのまま、グローバルプロダクトマネジャーを経験。全く喋れなかった苦手の英語もビジネスで会話ができるレベルまで押し上げ、2019年6月からはアメリカに赴任し、グローバル・リーダー/マネジメント達と仕事をしている。 専門分野は、プロジェクトマネジメント、アカウント・ファイナンスなど。自分のように、仕事で悩んでいる人や大きな壁を感じている人が現状打破できるように、という想いで2017年7月に本サイトを立ち上げた。
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