この記事では、オリエンタルラジオ中田敦彦氏の顔出し引退宣言から得られる本質的な学びについて考察します。
今回の中田氏のYoutube動画を見て、これまで積み上げて来たYoutube上の成功パターンを捨ててでも、新しいことにチャレンジしていく強い覚悟を感じました。
筆者は現在(執筆時2021年3月)、グローバル企業の駐在員として、アメリカの会社に赴任しており、約400億円の研究開発予算を管理するファイナンス・ポートフォリオ・リードとして、日々、シニアマネジメントやプロダクトリーダーと働いています。
ここまで来るのに、順風満帆なわけではなく、むしろ、困難の連続でした。そして、中田氏の現在の成功を捨ててでも新しいことにチャレンジし、進化し続けるマインドは、まさにビジネスパーソンにとって非常に重要な考え方だと思うのです。
それと共に、随分前にみた映画『ミスト』(巨匠スティーブン・キング原作)での、先行きが見えない時に人間がとる3つの行動パターンを強烈に思い出しました。
この記事では、中田敦彦氏の顔出し引退に至った背景にある本質的なマインドセット、映画『ミスト』の事例を交えながら、先行き不透明な時代における自分の道の選び方について、考察していきたいと思います。
中田敦彦氏の顔出し引退に関する背景
まずは、中田敦彦氏の顔出し引退の背景と説明を簡単に紹介します。
詳細を知りたい方は、直接、中田氏のYoutubeを見ていただいた方が早いです。以下にリンクを埋め込んでおきます。
上記動画を見ていない方のために、簡単に要約すると、
- 2021年4月からは、TV、Youtube等の公共の場での顔出しを辞める。Youtube上の過去動画は削除せず、顔出しのまま残す。
- これまでのタレント活動の経験から、中田氏は有名人のプライバシー保護に以前から疑問を感じており、また昨今のスマホ・SNSの普及によりその疑問がますます大きくなっていた。
- 中田氏の主な活動の場が、大勢の共演者で作成するテレビ番組から、共演者が一人または少数で完結できるYoutubeの場に移ったこと、並びに、現在のYoutube大学のコンテンツに照らし合わせると、顔出ししなくても良質な内容を届けることができると確信できたこと。
- 上記内容から、顔出しをやめても、今後の中田氏の活動に支障はなく、むしろ新しい価値・コンテンツ提供に挑戦できる機会が得られると考えた。
というような内容でした。(注意:あくまで、中田氏の動画を聞いての私の要約であること、ご留意ください)
ここまでは、他のニュースや情報媒体で大々的に書かれていることかと思うのですが、大事なことは、ここからです。
中田敦彦氏の今回の行動とその背景から学ぶべきことは、以下です。
過去の成功体験・パターンを捨ててでも、成功するかどうか分からない(失敗するかもしれない)新たなチャレンジをすること。
たとえ、そのチャレンジについて、身近な家族、親友、上司・先輩・同僚たちから強い反対・助言を受けたとしても、覚悟を持って自分の判断で新しい道に進む。
中田敦彦氏が、慶應大学から一般企業への就職をせずに、厳しいお笑い芸人の世界に飛び込み、テンプレートではない切り口から大成功を続けて来れたのは、この中田氏のマインドセットにあると思います。
中田氏と言えば、プレゼンテーションや策略家というようなイメージを持つ方が多いかもしれませんが、それはあくまで表面的な姿にすぎず、その成功の本質は、上記のチャレンジ精神とトライアンドエラーを続ける行動力にあるのです。
中田氏は、Youtubeでこうも述べています。
テレビ番組のレビュラーを降板すると言ったら、事務所や相方、共演者たちから、テレビレギュラーを辞めないでと言われた。しかし、今になってみたら、「Youtubeをやって良かったね」と言われる。
この中田氏の発言を聞いて、以前に見た巨匠スティーブン・キングが原作の映画『ミスト』を思い出しました。
映画『ミスト』では、生きるか死ぬか先行きが不透明な状況下に陥った時に人間が取りうる3つのパターンをありありと映し出しています。
映画ミストにおける改革派の主人公が中田氏の行動パターンにかぶる

昔、映画『ミスト(2007年)』をみた時に衝撃を受けました。まだ見ていない人のためにラストのオチはここでは触れませんが、その映画での設定が我々の人生における分かれ道を隠喩しているのです。
簡単にあらすじを言うと、
- 嵐の翌日、主人公のデヴィットは異様な霧に懸念を抱きながら息子とスーパーマーケットに買い出しにいく。
- 濃い霧は買い物客でごった返すマーケットに迫り、ついには町全体を覆い込んでしまう。
- そんな中、スーパーマーケットは停電を起こす。外に出ようとすると、霧の中から不気味な怪物が襲ってきて、買い物客はパニックに陥る。
- 買い物客はスーパーマーケットの窓や入り口にバリケードを作り、外から助けが来るまでスーパーマーケット内で籠城する。

さて、映画「ミスト」の細かい話はさておき、ここからが本題です。
人は生死を分けた状況に追い込まれると、どんな行動をとるのか?
映画ミストでは、3つの大きなパターンを映し出します。
- 【現状維持派】今の状況で満足しており、それを必死で維持し続けようとする人たち
- 【無気力・神に祈る派】もう無理だと、何かをすることさえ諦め、ただひたすらに神に祈る人たち
- 【改革派】今の状況ではジリ貧だと思い、リスクはあるが新しいチャレンジに命を賭けようとする人たち

主人公のデヴィットは、このままスーパーマーケットで籠城していても、いつかはバリケードが破られて全員怪物に食われてしまうと考え、『命の危険はあるが、スーパーマーケットの外に出て、生き伸びる可能性を探そう!』と、他の買い物客に問いかけます。
すると、現状維持派は、猛烈に反対をするのです。
「なんで、そんな危険な真似をしようとするんだ。この状況下で外に出るなんて、むざむざ死にに行くようなものだ。絶対にやめたほうがいい。このスーパーマーケットには幸い、飲み物も食べ物もたくさんある。ここから出ていくなんて、リスクが高すぎる!」と。
この現状維持派の発言は、我々のこれまでの人生の分かれ道における、身近な周囲の反対や助言と似ていると思いませんか?
例えば、
- 学生が大手上場企業から内定をもらっていたのに、名も知られていないベンチャー企業に就職しようとしている時、
- 会社員が安定して給料を得られる会社を辞めて、自営業の会社を立ち上げようとする時、
- 今の会社でそこそこの評価と役職を得ているのに、別の会社に転職しようとする時、
いずれも、現状維持でいいじゃないかと周りから言われるようなケースです。
多くの人が今の状況を喜んでいるのに、『なんで、キミは成功するかどうかもわからないリスクが高い道を選ぶんだ?』というように。
でも、現状維持というのは、すなわち、じわじわと衰退していることと同義であることに多くの人は気づいていません。いや、うすうす気づいてはいるけれど、それを手放そうとしたくない人が大半なのでしょう。
中田敦彦氏がテレビを辞めてYoutubeに移ろうと決断した時も、まさに映画ミストのスーパーマーケットの買い物客と同様、かなりの反対を周囲から受けたのでしょう。
中田氏が、現状維持でいることの方が将来のリスクと考え、新しいチャレンジに可能性を賭けていく姿は、まさに映画ミストにおける主人公デヴィットの姿に重なるのです。
映画ミストの方のエンディングは、みなさんの目で確かめていただくとして、大事なことは、
何かを判断しようとする時、その時点では、『何が正しくて、何が間違っているのか』は誰にもわからないということです。
そんな先行き不透明な時に、自分は何を信じて、どんな道を選べばよいか。
これこそが、中田敦彦氏の今回の顔出し引退宣言から考えるべき本質的なテーマではないでしょうか。
選択肢自体に正解はない。選んだ道を正解にするしか方法はない。

さて、中田氏の顔出し引退宣言から考えるべき本質的な学びとは何か。
私が思うに、それは、
選んだ道に、正解や間違いなど、そもそもない。
選んだ道を正解にする “決意” と “覚悟” を持って前に進むしかない。
これだと思うのです。
多くの人は、人生の岐路で、どちらの道が正解で、どちらの道が間違いなのかを考え、迷います。
そして、周囲の反対意見を聞いて、ますます悩み、ためらいます。慣れ親しんだ道を選びたくなります。その方が安全のように思えるからです。
でも、安全な道を選んで、今まで通りのやり方で過ごしても、それが本当に正解なのでしょうか?
生物学的な観点でいうと、長年生き残ってきた生物は、強い生き物ではなく、その時代の周りの “環境” に合わせて変化してきた生物です。
言わずもがなですが、これはビジネスにおいても、我々個人の人生においても同じです。
中田氏は今回のYoutube動画で、周囲の反応を恐れずに、自ら変化していく “覚悟” について強調していました。
現状維持が本当に安全な道なのか?
自分は何を信じて、どんな道を選べば良いのか?
そして、どんな心構えで、選んだ道を歩んで行けばよいのか?
中田氏の今回の顔出し引退宣言は、我々の生き方についても大事な示唆を与えてくれるものだったのではないでしょうか。
最後にヘレン・ケラーの言葉で締めたいと思います。
ヘレン・ケラー (教育家、社会福祉活動家、著作家 1880 – 1968)
安全とは思いこみにすぎない場合が多いのです。
現実には安全というものは存在せず、子供たちも誰一人として安全とは言えません。
危険を避けるのも、危険に身を晒すのと同じくらい危険なのです。
人生は危険に満ちた冒険か、もしくは無か、そのどちらかを選ぶ以外にはありません。