働き方改革以前から、私の会社では無駄を省き、効率を求めることに盲目的な人が一定数いました。
たしかに、仕事を効率よく進めて、残業時間を減らして、早く帰ることは私も大賛成です。
電子化すれば省力化できる紙類の手続き、意思決定の権限がない人も呼ばないといけない社内慣習などなど、明らかに無駄と思えるプロセスは未だにあります。
ただ一方で、一見まわりから無駄と思えるようなことも中・長期的な観点で効率化に繋がることもあるのではないでしょうか?
働き方改革という文脈を変な形で引用しないように、すなわち、本来必要であるリソース投入に躊躇してしまうことがないように、我々は気をつける必要があるのではないかと思います。
「キミ、仕事に無駄が多いね、要領悪いね」と言われてきた筆者談

まず最初に、たとえ話から入りたいと思います。
上司からの指示で、1,000円を渡されて明日までに魚を準備して、と言われたら、どちらを対応しますか?
- 魚屋さんに行って、1,000円で魚を買う
- 釣具屋さんに行って、1,000円で釣竿とエサを買って、自分で魚を釣る
普通に考えて、1の魚を買ってくる、ですよね。その方が圧倒的に早いですし、確実ですから。逆に、2のように、わざわざ魚を自分で釣ろうとしていたら、「アホか! どれだけ時間を無駄にしているんだ。要領悪いな!」と言われてしまいかねません。
さて、私はと言うと、新人時代からずっと、この2のやり方で仕事をしていたのです。ですので、仕事が遅いことで有名でした(苦笑)。
具体的に言うと、目の前にあるマニュアルに沿って、素早く仕事をこなしていくことを求められていたのに、目の前のマニュアルが「なぜできたのか?」とか「この作業にどんな目的があるのか?」とかを一つ一つ理解しようと時間を膨大に使っていたのです。目の前に、仕事が山積みになっているにも関わらず(苦笑)
ビジネスで求められるのは、結果です。
当時は、それに考えが及ばず、サクサクと仕事を進めて評価を得ていく同期や先輩と対照に、全く冴えない評価かつお荷物社員だったのです。
○○の切り口では、効率の定義が逆転する
しかし、ビジネスの世界では、常に同じやり方でうまくいくということはありません。
さて、ポジションが上がった中堅社員に求められるのは、以下のどちらでしょうか。
- 魚屋さんで、魚を買う
- 釣具屋さんで買った釣竿とエサで、自分で魚を釣る
もう言わなくてもいいですね。そう、2の方です。
若手社員たちのように、「魚屋さんに行って、魚を買ってきましたあ!」なんてやっていると、「お前はいつまで会社のお金を無駄に使っているんだ。もっと、頭を使って、効率よく魚をとってくる方法を考えろ!」と叱責されかねません。
いかがですか? 上司が言っていることが一見、矛盾していて、理不尽なことのように見えませんか?
これは、上司から求められる成果が変わってきているからなのです。
新人や若手時代までは、とにかくオペレーションの早さ(要は、作業の早さのことです)が重視され、あるものを使って(会社の資源を使って)、結果を出せるようになることが求められていました。
一方で、ポジションが上がってくると、オペレーション的(作業的)な効率よりも、中・長期的な効果があるプロセスの観点での効率化が求められるようになります。
要するに、新人や若手たちが結果を出せるようにするための、「新しいプロセスや持続可能な価値」を自分の頭で考えて生み出すことが求められます。
効率という言葉は、ポジションによっても、違う意味合いになってくるのです。
もし、私が新人時代の自分にアドバイスができるなら、「今の考え方は間違っていない。でも、今キミに求められているオペレーション効率も大事だから、そこも並行して取り組もう、今はね」と言うと思います。
短期的な無駄が「中・長期的な効率」に繋がることもある

無駄という言葉を私たちはネガティブなものと捉えがちですが、自然界の中では、この無駄と思われる行為をうまく取り入れて、むしろ生産性を劇的に上げているメカニズムがあります。
その事例として「アリ塚」があります。
アリ塚では、働きアリの一匹(アリAと呼びます)が巣の外でエサを見つけたら、他のアリたちもアリAのルートを使ってそのエサまでたどり着く、というプロセスでエサを効率的に運搬しています。
これを踏まえると、アリ塚の生産性はどれだけ正確にアリAルートを辿れるか?と思われがちですが、実はそれが違うのです。
完璧にアリAのルートを行く真面目なアリだけのアリ塚よりも、間違えたり、寄り道したりするマヌケなアリがある程度いる場合の方が、エサの持ち帰り効率は中長期的には高まるのです。
これは、マヌケなアリがあちこち寄り道してる時に、偶然にエサまでの最短ルートを見つけることがあるからです。
つまり、短期的な非効率が、中・長期的な効率に繋がるというケースです。
結局、無駄ってなに? 効率ってなに? コスパってなに?
結局のところ、無駄や効率という定義は、それが語られている文脈、自分の現在のポジション・役割、求められている成果、によって変わってくるのではないでしょうか
以前の記事で、職位が上がるごとに求められるビジネス・スキルが変わってくる、というカッツ・モデルを紹介しました。
簡単に説明しておくと、一般社員レベルの時は、作業などのオペレーションスキルが重要ですが、職位が上がるごとに、物事を概念化したり、仕組み化したり、戦略を立てるようなコンセプチュアルな能力が必要になっていくという話です。

これと同じことが、「効率化」とか「無駄」という話にも言えると思います。
つまり、新人や若手社員たちに対しては、すぐに結果が出るような日々のオペレーショナルな仕事での無駄を省くことがより求められるのに対し、中堅や管理職にはもっと組織的な業務プロセスの見直しなどの中・長期的な業務効率化が求められるのです。
そして、面白いことに、中・長期的な効率化を達成するためには、短期的にそれ相応のリソースを投入しないと難しいという点なのです。一見、無駄とか非効率と思われるかもしれない覚悟が必要なのがツライところです。
短期的な無駄を覚悟で、リソースを投入してみることも大事なのではないか?

例えば、考えるという行為もその一つかもしれません。
とある人事のプロフェッショナルがこんなことを言っていました。
「優秀な人・伸びる人」とそうでない人の差は、知識・経験や持っているスキルなどの差よりも、「考える」ことの差から生まれていることのほうが大きい。
私たちは忙しい日常生活や、大量のタスクに晒された職場で、日々いろいろなことを考えていますが、その「考える」という行為に対して、どこまでリソース(量)と深さ(質)を割いているでしょうか?
業務を高速で回す効率を優先するあまり、一つ一つを深く考えることができてないことが案外多いのではないかと思います(もちろん、自分への自戒の意も込めてです)。
例えば、仕事の場面でも、何かトラブルがあったら、すぐに過去事例を引っ張り出してきて、そのまま対応したり、ひとまずの短期的な回答が得られたら、そこで考えを止めてしまったり、と。
私が今アメリカで仕事をしていて感じるのは、日本にいた時に効率度外視で、リソース(自分の業務時間もプライベートも)を投入して学んだことが強力な武器・強みになっていることです。
もし、日本にいる時に、効率性を重視するあまり、目の前の仕事を深掘りしなかったり、仕事の範囲を広げようとしていなかったりしたら、、、と思うと恐ろしくなります。
これもアリ塚と同じで、短期的な非効率が中・長期的な効率に繋がる一例かと思います。(実際、リソース投入してる当時は、そこまで首突っ込む必要ないのでは?と周りからは非効率だと思われていたと思います)
私も無駄を省き、効率化することは賛成です。
ただ、中・長期的な目線を持ったとき、いま見えている無駄が、実は宝の地図に見えることもあるのではないでしょうか?