衣料品店を経営していた祖母は、昔こんなことを教えてくれました。『人の名前を正確に覚えて、その人の名前を呼んであげなさい。それが商売繁盛の秘訣だよ』と。
管理人は現在(執筆時: 2020年11月)、アメリカの会社に赴任中なのですが、アメリカでは日々の仕事を円滑にするためにも、人の名前を呼ぶことは非常に重要だと感じています。
名前の力はすごいものです。相手の名前を呼ぶことで一気に心理的な距離を縮めることができますし、同時に、相手へのリスペクトも伝えることができます。
アメリカでは、正直、これどうやって発音するんだ? というようなインド・アラブ系の名前や、スペイン系の名前にも遭遇しますが、そういった人たちの名前をしっかり覚えて、正しく発音していくことは、仕事で信頼関係を築いていく上で、何よりも重要です。
この記事では、誰しもがやっているであろう、「相手の名前を呼ぶ」ということに改めて着目して考察したいと思います。
アメリカ事例:すれ違いの挨拶で「相手の名前」だけを呼ぶ

アメリカの会社で働いて、最初に驚いたのが、オフィスを歩いている時のすれ違い時の挨拶です。
日本の感覚では、「こんにちは」と言うか、軽く頭を下げるのが一般的かと思いますが、アメリカでは、相手の名前を呼ぶのです。
例えば、オフォスの廊下を歩いていて、角を曲がった際に、同僚や上司とパッと目があってすれ違ったとします。
この時、彼らは私の名前だけ言うのです。『Ippo』と。
最初の頃は、「えっ、何か私に用があって名前を呼んだのかな?」と思って振り返っていましたが、先方はそんな素振りはまったくなく、颯爽と歩き去っていくのです。よくわからないまま、そんなことが何回も続くうちに、それが挨拶だったのだと理解しました。
たしかに廊下での一瞬のすれ違いなので、正直、1ワードぐらいしか話す時間がないのです。だからこそ、その時に選ばれるのが相手の名前なわけです。
他にも、わかりやすいのはエグゼクティブの朝の出社時の挨拶。
日本であれば、「おはよう」の連呼です。エグゼクティブも忙しいですから、一人一人に『○○さん、おはよう』なんて言っていられません。ですので、『おはよう、おはよう、おはようー』と、時には流れ作業的に挨拶をしてしまうこともあるかと思います。
一方で、アメリカのエグゼクティブは、相手の顔を見ながら『John』、『Mary』、『Beth』というように、名前を呼んでいって、自分の席につきます。
さて、挨拶をされた側としては、どちらが嬉しいと思いますか?
言うまでもなく、自分の名前を呼んでくれたアメリカのエグゼクティブですよね。
もちろん、日本とアメリカは文化や習慣の違いがあるので、ここで日本がダメだと言っているわけではありませんが、このような「名前だけ呼ぶことが挨拶になる」という考え方は、非常に効果的かつ効率的なコミュニケーション方法だなと実感しました。
最近はCOVID-19ウィルスの影響で、在宅勤務&オンライン会議が多くなりましたが、電話会議でも基本的には同じです。
『Hey Joe』、『Hey, Ippo』というやりとりだけで短い挨拶になります。もちろん、時間がないときは、Heyも言わずに、名前だけ呼ぶことも多いです。
自分の名前を呼んでもらうことは、どんな言葉よりも嬉しいものである

少し私の祖父母の話をさせてください。
祖父は、第二次世界大戦中、銀行マンとして当時の満州国に勤務していました。しかし、戦後は満州国がなくなり、家も財産もすべて捨てて日本に帰ってきて、滋賀県のとある地域に移り住みました。
戦後のことなので、食料も配給制で、暮らして行くのが大変だったそうです。そんな中、自分たちで商売のチャンスを見つけて、食料品の買い付け・販売や、衣料品の仕入れ・販売を始めたと聞いています。
最終的には、衣料品店の経営に一本化し、それなりの大きな会社との取引もあり、かなり大きな豪邸を建てていました。(今では取り壊されています)
そんな衣料品店を支えて、切り盛りしていた祖母のモットーが、新規のお客さんの名前は必ず全員覚えて、次に来店してくれた際には、『○○さん』と名前で呼んでお話をするということでした。
昨日きたお客さんなら、顔と名前が一致しているかもしれませんが、例えば、3ヶ月後くらいにきたとして、名前を覚えているか、正直、一般的な感覚では、かなり厳しいことだと思いませんか?
しかし、だからこそ、自分の名前を呼ばれた方は嬉しいのだと思います。
ずっと前の会話を覚えてくれていたことに感動しますし、『お客さま』と呼ばれるよりも、『○○さん』と名前で呼ばれた方が、心理的な距離も近く感じて心もオープンになります。
自分の名前を呼んでもらうことは、どんな言葉よりも嬉しいものです。
デール・カーネギーはその著書「人を動かす」で、以下のような言葉を残しています。
人間は他人の名前など一向に気にとめないが、自分の名前になると大いに関心を持つものだ。自分の名前を覚えていて、それを呼んでくれるということは、まことに気分のいいもので、つまらぬお世辞よりもよほど効果がある
(引用元:創元社|人を動かす 著: デール・カーネギー)
「相手の名前」を呼ぶというのは、最大限の敬意を払いつつも、同時に相手への心理的な距離をグッと縮めることができる効果的なコミュニケーションなのではないでしょうか。
まとめ:日々の仕事でも相手の名前を積極的に呼んでいく

相手の名前を呼ぶというのは、何も商談や交流会などで初めて会った場面だけでなく、日常の何気ない上司、先輩・同僚との会話でも効果的です。
「あ、申し訳ないけど、これコピーしておいてもらえる?」と声をかけられるよりも、
「○○さん、申し訳ないけど、これコピーしておいてもらえる?」と声をかけられる方が、モチベーションが上がりますよね。
メールのやりとりの中でも、「ご都合がよろしい時間帯を教えていただけますでしょうか?」とだけ聞くよりも、
「○○さんのご都合がよろしい時間帯を教えていただけますでしょうか?」と名前を入れた方が、より相手への配慮が伝わるメッセージになります。
他にも、「髙橋さん」というような通常の漢字変換で出てこないような苗字の場合は、わざわざネットで検索してきて、それをコピペして私は使っていたりします。こういった配慮は、本人には伝わるものです。
また、私はアメリカ人の部下がいるのですが、普段からなるべく彼女の名前を呼ぶようにしていますし、チャットで「Thanks!」と伝える時も、「Thanks、Beth!」と必ず書くようにしています。
これらは一手間かかりますし、積み重ねていくと、それなりの工数に相当するかもしれませんが、それだけの意味と価値があると私は確信しています。
相手との信頼関係をコツコツと築いていく上で、積極的に相手の名前を呼ぶ、ということは、どんな言葉を投げかけるよりも、配慮に富んだ効果的な言葉なのではないでしょうか?